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zoom RSS 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム

<<   作成日時 : 2011/01/17 08:13   >>

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世界の表舞台に躍り出た日本が、なぜわずかの間に世界の趨勢から脱落し、太平洋戦争への道を進むようになるのか。太平洋戦争70年の年に問いかける大型シリーズの第2回。
戦争を引き起こした戦犯とされる日本陸軍は、なぜ、いつから暴走したのか。人事記録や幹部の発言を子細に追う最新の調査の結果、浮かび上がってくるのは、エリート官僚集団が徐々に変質し、中心なきまま迷走していく姿だ。当初、世界から遅れぬよう“改革”を叫んだ若手の軍官僚たちは、軍の枢要なポストを独占し思い切った机上のプランを実行に移すようになる。そして軍事戦略の違いから派閥抗争を繰り返し、やがて、現地が東京の軍中央の統制が効かないまでに混乱が広がる。
巨大エリート組織が暴走した“錯誤のメカニズム”を、まさにその組織の最前線にいた当事者が赤裸々に語る。


鈴木貞一元陸軍中将の遺品に、陸軍の転機となるいくつかの場面が分かるものがあった。1920年代にすでに陸軍は組織の改造・改革に取り組んでいた。それまでは山県有朋元帥の意思のもとに動いていた。しかし、ヨーロッパに集まった若手の武官たちは、こうした体制は旧いものとして改革、刷新しようということで意見の一致を見た。「一夕会」という40人のエリート将校のグループを作り上げる。当時議会政治は党利党略によるものが中心であって、これは当てにならないと考えた。人事が重要と考え、人事局長、そして陸軍大臣への重要ポストである軍事課長、そして次々と重要ポストを一夕会のメンバーで占めていった。
人事の改革に成功したが、一夕会の一人ひとりの考え方は隔たっていた。石原莞爾のように「武力により満州を征圧する」といった過激な思想の持ち主も含まれており、現実的な永田鉄山軍事課長との間で軋轢があった。そして、石原たちは満州事変を起こすが、関東軍の上層部はこれを黙認した。
荒木陸軍大臣は永田軍事課長を更迭し、自分の息のかかった人間(皇道派)で陸軍幹部を構成する。これにたいし統制派の永田が巻き返し、荒木大臣を交代させ、永田は軍務局長に就任し、今度は逆に統制派で染め上げていく。しかし、1935年に皇道派は日本刀で永田軍務局長を殺害する。そして組織の秩序は崩壊してしまう。
1932年9月、満州事変の首謀者である板垣征四郎や石原莞爾を民衆は熱狂的に迎え、二人は勲章を得た。軍は、もはや中央に相談せず独自で中国国内での行動を行うようになる。前例を作り、結果がよければよいという考え方が根付いていった。

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