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zoom RSS 湯川秀樹〜物理の荒野のドリーマー〜

<<   作成日時 : 2011/03/12 08:56   >>

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2010年、根岸英一氏と鈴木章氏の二人がノーベル賞を受賞した。世界で最も権威あるこの賞を日本人が受賞するたび、国中が沸き返る。今から62年前、このノーベル賞を日本人で初めて受賞したのが、物理学者の湯川秀樹だ。敗戦後間もなく、いまだアメリカの占領統治下にあった中での受賞は、打ちひしがれていた当時の日本人に、自信と希望を与えた。
受賞の対象となった「中間子」の発見。しかし後年湯川は、「あれは本来自分のやりたかった仕事ではなかった」と語っている。湯川自身は、もっと壮大な研究テーマに挑んだ"ドリーマー"だったのである。
今回の語り手は2008年に湯川と同じノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さん。同じ物理学者として、かつて湯川を身近に見た経験を持つ。「ノーベル賞受賞は大して嬉しくない」など、歯に衣着せぬ独特の発言で知られる益川さんならではの「湯川評」を通し、語られることのなかった生身の「湯川秀樹像」に迫る。


本来やりたかったテーマは「ミクロの世界における時間と空間の関係の理論化」だそうな。中間子理論でノーベル賞受賞後、このテーマに立ち戻ったけれど成果は出ず。しかし、「志の高さを観て欲しい」と語っていたそうだ。

大阪帝国大学に移籍後、全く成果が出ない湯川に八木は以下の様に叱責した。
八木先生は、湯川博士にもっと勉強するよう叱った後で、「本来なら朝永君に来て貰うことにしていたのに、君の兄さんから依頼されたので、やむなく君を採用したのだから、朝永君に負けぬよう、しっかり勉強してくれなければ困る」といった意味の注意をされた そうです。八木先生は、口の悪いことと、八木アンテナで有名で、特に人の胸をグサリと刺すような毒舌は、先生の周囲の人々を縮みあがらせていたそうです。

―内山龍雄, 「適塾」No.15(1982)『湯川博士と大阪大学』 大阪大学湯川記念室WEB資料
1934年、中間子理論構想を発表、1935年、「素粒子の相互作用について」を発表、中間子(現在のπ中間子)の存在を予言する。すでに日中戦争中であった日本人学者は、海外からはなかなか評価されなかったがソルベー会議に招かれ、以後、アインシュタインやオッペンハイマーらと親交を持つ。 この研究が評価され、1940年に学士院恩賜賞を受賞、1943年には最年少で文化勲章受章。さらに、1947年にセシル・パウエル等が実際にπ中間子を発見したことで1949年にノーベル物理学賞を受賞した。これは日本人として初めてのノーベル賞受賞であり、このニュースは敗戦・占領下で自信を失っていた日本国民に大きな力を与えた。2000年に湯川のノーベル賞選考関連文書を調査した岡本拓司は、推薦状の大半が日本以外から出されていた点などを挙げ、「ノーベル賞の歴史の中でもまれなほど、研究成果との関係が明瞭であるように思われる」と記している[9]。
その後も非局所場理論・素領域理論といった理論を提唱するなどした。一方、マレー・ゲルマンのクォーク理論については「電荷が1/3とか2/3とか、そんな中途半端なものが存在する訳が無い。」と否定的であった。
またその一方で、核兵器廃絶を訴える平和運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

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湯川 秀樹


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